鉄道会社は新型コロナウイルス禍を経験し、旅客以外の輸送ビジネスを探り始めた。新たに浮上してきたのが荷物輸送だ。
11月12日午前11時過ぎ。鳥取県西部にあるJR米子駅の改札口に、台車に載せられた5箱の「乗客」がやってきた。駅員が切符にスタンプを押して改札を通過し、ホームへ。その切符にはこう書かれていた。「お客様はカニ様です」
コロナ禍による利用客数の減少に苦しむJR西日本はこの日、列車による荷物輸送を正式な事業として始動させた。最初に運ぶことになったのが「神様」ならぬ「カニ様」。朝、境港に水揚げされたばかりの生きたズワイガニ(松葉ガニ)16杯を、岡山駅経由で京都駅まで運び、駅に直結する百貨店のジェイアール京都伊勢丹で販売する。
米子駅から京都駅までの所要時間は、乗り換え時間を含めて4時間23分。全行程に密着した。
最初に乗り込む「やくも14号」は、出雲市駅(島根県)から岡山駅へと向かう在来線の特急列車。米子駅は途中停車駅で、停車時間は2分しかない。列車が到着するとまずは乗客が乗り降りする。人の流れがなくなってから、荷物の積み込みを開始。ホーム側の係員が、車両のデッキに乗り込んだ係員にバケツリレー方式で箱を渡していく。
乗客が普段、目にすることがない業務用室に積み込み、扉に施錠して係員は降車。ここから岡山駅までは無人で運ばれる。
一連の作業を見届けたJR西の山陰営業部、松本大氏は「無事、定刻通り出発できた」と安どの表情だった。停車時間が2分あるといっても、乗客の乗り降りが終わらないと荷物は積み込めない。
これまで何度も米子駅に出向き、乗り降りにどの程度の時間がかかっているのかをストップウオッチで計測。そのデータを基に、車庫に止まっている実際の車両で積み込み作業のシミュレーションを繰り返してきた。その成果が、見事に発揮された。
米子駅での積み込みは最初のハードルにすぎない。約2時間後、次の関門がやってきた。この輸送で最大のハイライトとなる岡山駅での積み替えだ。
やくも14号の岡山駅到着は午後1時38分。京都駅まで運ぶには、ここで山陽新幹線に乗り換える必要がある。指定された列車は午後1時53分発の「みずほ606号」新大阪行き。乗り換え時間は15分ある。
だが、余裕があるとは言えない。自ら歩いて移動する旅客なら別だが、荷物輸送では係員による積み下ろし、台車による移動、そして再度の積み込みが必要だ。
岡山駅でも米子駅と同様、乗客が最優先。すべての乗客が降車した後、岡山駅で待ち構えていた係員による積み下ろしが始まった。
台車に載せられたカニ5箱は、エレベーターに載せられて1階の在来線ホームから2階のコンコースへ。そして乗客の合間を縫うように新幹線乗り換え改札へと進み、3階の新幹線ホームへと向かうエレベーターに載せられる。
新幹線ホームに、なかなかカニを載せた台車がやって来ない。「間もなく、24番乗り場に、みずほ606号、新大阪行きが参ります」。間一髪、案内放送が流れ始めたときようやく台車が現れた。エレベーターも旅客優先で、子連れ客や高齢者らを先に乗せていた。
みずほ606号は定刻に到着したが、ドアが開くとほどなく出発のベルが鳴り始めた。岡山駅の停車時間は1分間しかない。米子駅よりもタイトだ。ただ、新幹線は特急やくもと違い、車内販売の商品などを積み込むための専用ドアがある。そちらのドアを使い、乗客の乗り降りが終わるのを待たずに積み込み作業が行われた。事前の計測で、30秒で4箱積み込めることは確かめていた。
実は、ここで新幹線に積み込まれたのは5箱のうち2箱だけ。3箱は岡山駅の売店で販売するために残された。本来ならば2階のコンコースで仕分けをしたほうが効率がいいが、事前の検証でそのための時間的な余裕がないと判断。いったん全てを3階の新幹線ホームまで運んだのだ。それだけ綱渡りの乗り継ぎだ。
みずほ606号は最高時速300キロメートルで東へと走り、わずか45分で終着の新大阪駅に到着した。ここで2度目の乗り換えとなる。今度は次の列車まで48分と余裕があるため、駅構内の手荷物預かり所でしばらく待機することになる。そして午後3時26分発の京都行き特急「スーパーはくと8号」に載せられて、目的地である京都駅へと向かう。
京都駅に着いたのは午後3時48分。新大阪から京都までは新快速が15分間隔で走るなど、列車本数が多い区間だ。しかし、わざわざ特急列車を待ったのは、客室に置くのではなく荷物専用のスペースを確保できる上、京都駅終着で積み下ろし時間に余裕があるからだ。
ホームから荷物用の通路を通って、ジェイアール京都伊勢丹に到着したのは午後4時だった。箱を開けると生きたカニがハサミを振りかざし、店員からは「すごく生きがいい。これは間違いなくおいしいぞ」と感嘆の声が上がった。
京都に着いたカニ6杯のうち3杯は得意客が予約済み。残りの3杯が店頭で抽選販売された。市価2万4000円相当のところJR西のPRも兼ねて半値の1万2000円での販売となったこともあり、抽選で購入者を決めるほどの人気ぶりとなった。
鉄道による荷物輸送はJR東日本やJR九州がすでに事業化している。JR西は後発となるが、それはハードルが高い輸送に取り組もうとしたからでもある。
JR東とJR九州は積み込みや積み下ろしにかかる時間を考慮し、基本的に始発駅で積み込み、終着駅で積み降ろすようにしている。JR東は12月から東北新幹線の途中停車駅である大宮駅で荷物の積み下ろしを始めるが、そのために停車時間を1分から5分へと延長する予定だ。
これに対してJR西は今回、停車時間が1~2分と短い途中停車駅での積み込みや積み下ろしを実施。さらに在来線特急と新幹線を乗り継ぐリレー輸送も行った。
荷物輸送を担当する営業本部の内山興課長は「鉄道輸送の強みは路線のネットワーク」と話す。トラック輸送の場合、各エリアで集荷した荷物を物流拠点に集め、大型トラックに積み替えて夜間に運び、再び物流拠点で小分けにして配送する。そのため早くても届くのは翌朝となる。
これに対して鉄道なら、日中に走っている在来線と新幹線を組み合わせることで、即日配送が可能だ。即日配送では飛行機もライバルとなるが、空港が市街地から離れていること、鉄道と比べると路線ネットワークが限られていることなどがネックになる。例えば今回の米子~京都間の場合、空路なら一旦羽田に運ぶしか方法がない。
JR西の場合、運行する新幹線は山陽新幹線(新大阪~博多)と北陸新幹線(金沢~上越妙高)だけ。東京を起点に、東北地方の各県庁所在地や新潟、長野へと乗り換えなしの新幹線ネットワークを張り巡らせているJR東とは状況が違う。荷物輸送の対象エリアを広げるためには、途中停車駅での積み込み、積み下ろしや在来線との乗り継ぎが不可欠だった。
さらに対象エリアを広げるためには、事業エリアを越えた輸送も必要になってくる。すでに北陸新幹線では、直通するJR東と組んで北陸~首都圏間の荷物輸送が始まっている。山陽新幹線では直通先の九州新幹線を運行するJR九州と組み、11月19日に米子から鹿児島へとカニを輸送した。今後、東海道新幹線を運行するJR東海とも協議が進めば、山陽・山陰・九州と首都圏を結ぶ荷物輸送も視野に入る。
ハードルの高さという意味では、カニを生きたまま運ぶということも1つの挑戦だった。
内山氏は以前、松江駅長を務めた経験があり、山陰地方の特産品開拓にも携わってきた。カニの生態にも詳しく、「実はカニは強い振動など危険を感じると、脚を自ら切ることがある」と話す。トカゲのしっぽ切りと同様、切り落とした脚で外敵の注意を惹き、逃げる時間を稼ごうとするためだ。
つまり、目的地まで生きたまま、それも脚が切れていない完全な状態で運ぶことができれば、輸送品質が高いことの証明になる。
新幹線は乗り心地の改善に力を入れており、振動が少ない自信があった。ただ、在来線の特急やくもはカーブの多い路線を走行。特急列車としては最も古い、約40年前に旧国鉄が製造した車両を使い続けており、揺れが大きいと言われている。それでも今回、問題なく京都まで輸送できたことは、荷主開拓へのアピールポイントになりそうだ。
今回のカニ輸送は、荷主、配送先ともJR西日本のグループ会社だった。「輸送費だけでなく商品の販売収入も含めてJR西日本グループの収益となる」(内山氏)半面、輸送のパイは限られている。内山氏によると、現在、佐川急便をはじめとする物流大手との協議が最終段階に入っており、物流大手が集荷・配送する形での鉄道輸送も実現する見込みという。
いずれも「すでにあるグループ内の物流会社の要員や車両の空きスペースを利用しており、追加投資は全くない。得られた輸送費がそのまま利益になる」(内田氏)。1個1個の収入が多いとは言えないが、固定費が高い鉄道事業の収益改善には確実に寄与する。そのために、現場の社員が試行錯誤を繰り返し、事業化にこぎつけた。
(日経ビジネス 佐藤嘉彦)
[日経ビジネス電子版 2021年11月29日の記事を再構成]
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